治せる理学療法士養成塾  せぼね研究会

愛知県名古屋市で活動している理学療法士中心の技術研究会です。体軸の調整を第一に考えた治療スタイルを習得させています。股、膝、足、肩、肘などの痛みは局所的に治療しても体軸(=背骨)が整っていなければほとんど再発してきます。きど塾では背骨についてさまざまな手法と方法論を有しています。講義は実践中心。理論のみで「お茶を濁す」内容は皆無です。

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2017年04月

治療に使える哲学⑤ ニーチェ(独) すべては「自分のせい」から。   治らない=患者のせいにしない。 


患者さんが治っていかない時、学生の点数が伸びない時など、セラピスト指導者がよくいってしまう言葉かもしれません。



「あの患者がわがままだからだ。私の言いつけを守らないからだ。」

「学生の能力がもともと低いからだ。私の指導に従わないからだ。」



ここでニーチェの言葉。

「自分の人生に起こった全てを受け容れ、愛せ。」


ニーチェの著作、「ツァラトゥストラ・・・」や彼の「超人」という考えにであった時は、ある意味、衝撃でした。


それまでは、正直、何かについて結果が出なかった際にまだまだ、己の環境他人など、いわゆる、「他責的思考」にあったと感じます。


対して現在。例えば、乗った電車が遅れ、約束の時間に遅れたとして、

「ああ、その電車を選んだ自分が悪いんだ。」



例えば、患者さんが次の予約をしなかった(=患者さんがどんな人でも)として、

「ああ、自分の技量や説明が悪かったんだ。治るイメージを持たせてあげられなかったんだ。」

と思う事がごく自然になっています。



とにかく全ては、自分のせいにすることから。これが無いと必ず、人間という存在は、責任を他に求めるんです。
翻ってこの事は、自分の進歩を大きく妨げてしまう。



この思考法ができてないと、どんな分野でも絶対に「プロ」にはなれない。自分が治療している患者さんや、指導している学生から信頼は得られないでしょう。



まずは全ての運命を愛してみては。 笑 (キザ~)



*哲学の解釈が間違っていてもお許しを。決して悪意はありません。


せぼね研究会

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治療に使える哲学④ アンガージュマン  サルトル(仏)  「井の中の蛙になるな」 きど塾 理学療法士 勉強会



セラピストはとかく、小さな世界に篭りがちになる職業。小さな世界で先生、先生と崇められ、おかしくなっていく人も多い。(時に私も)


これを防ぐには・・・とにかく外へ出ましょう!!(笑)



サルトルの言葉で言えば、常に、

「アンガージュマン(=社会参加)」

せよ。


哲学にはさまざまな解釈がありますが、要は、現在の自分に合致するものをエッセンスとして取り出せば良いと考えています。



病院内、会社内にとどまらず、さまざまな場所へ出て行くことで自分の至らなさ、足りないものが分かってくる。これ、普段、「先生、先生」と崇められている職業ほど、自覚された方が良いと感じます。



私自身、可能な限り、他のさまざまな職業をされている方(=なるべく経営者が良い)のお話を聞いたり、また、自分の趣味(=マラソン、空手)の延長線で、大きめの大会に出たりして、もっと上があるんだという感覚が芽生えるようにしています。(*それでも時に、調子に乗ってしまうんですけどね~(反省))



要は時に、「先生」という看板を下ろし、「ガチンコ勝負」しろっていうことかと。


今後もアンガージュマン精神で行きます!!




*哲学の解釈が間違っていてもお許しを。悪意はありません。

治療の哲学③ ハイデガー(独)  「ダス・マン]  目の前の患者(の症状)から逃げない。



皆さんは、仕事に集中してますか?(上から目線ですいません)


あくまでも噂の範疇ですが、仕事中、株にいそしんでいるセラピストもいるとか?(本当?)仕事があってのアフター 5 or 趣味では???




今日はドイツの哲学者、ハイデガーの教え。これ、私も時々、戒めるように噛み締め、反省することも多い言葉。



「限りある時間を自覚=死を意識しながら生きよ。」


ハイデガーは、このような自覚の無く、どうでもよい事(=他人の噂話)などで盛り上がる人を「ダス・マン」と呼んでいます。本質(=本来、行うべき事)から逸れていってしまっている状態です。



しかし、人間って、死を自覚することは辛いですし、また、自分の事をシビアに眺める(=振り返る)作業は後回しにしたいもの。(=ダイエット、勉強など)



冒頭の、株にいそしむセラピストもそうかもしれません。本質や現実(=患者がなかなか治らない)から、目を背けたくなる気持ちは私にも十分に分かります。



目前の患者さんに全力を注ぎ、お互い、ダス・マンにならないように頑張りましょう!! 笑



(*哲学の解釈が間違っていてもお許しを。悪意はありません。)




治療に使える哲学② 自由な状態=自律できている状態 カント(独) きど塾/せぼね研究会


今日はカント(独)の教え。私も大好きな考え方です。



一般的には、自由に生きるって、もうとにかく、


「好きなことをやる!!」

「好きなものを食べる!!」

「好きなだけ寝る!!」

「好きなだけ休む!!」

「好きなだけ飲む!!」

っといった、イメージ?!。(私だけ? 笑)



しかし、これ(=欲望)って、上限(=際限)が無いし、従えば従うほど、自分をコントロールできなくなる。



ここで、カントの教えを。「自由に生きる」 とは、

= 欲望に自分本体をコントロールされない状態


この意味で、自由に生きれている、自在に自分をコントロールできている人は、結局、目標を達成しやすい心身状態にあると言えるかもしれません。



反対に、上手いものをたらふく食べたり、とにかく欲望のままに行動すると、際限の無い欲に溺れ、決して満足できず、悪循環  →    本来の目標が後回しになり易い



セラピスト自身も自律状態にあるべき。なぜかと言えば、この考えで治療に当たることで、そのセラピストに関わる患者さん達もそういう思考になっていくからです。



そして、患者さんが「自律」することでこれが、症状の再発予防になっていきます。

なのでぜひ、「自由に」生きましょう!!



少しでも参考になれば。


(*哲学の解釈が間違っていてもお許しを。悪意はありません。)






治療に使える哲学① 弁証法 ヘーゲル(独) きど塾/せぼね研究会 愛知 理学療法士 勉強会



病院、治療院にはさまざまな「考え方」をお持ちの患者さんがいらっしゃいます。当たり前です。笑


そのことは時に、治療の効果を時に薄めることに繋がってしまいます。しかし、これは仕方がないこと。セラピストとしては真実(=原因)を伝え、提案(=治療法)し、行うか止めるかは患者さんに選んでもらえば良いだけです。



その中でとにかく、任せてくれた患者さんに対してだけ、自分の持っている全て(=治療技術、治療知識、コミュニケーション法等)を用いて誠実に対処すればよい。



しかし、時に、PTも己の立場・目的・あるべき姿を見失ったり、混乱したりしてしまいます。特にまだ発展途上にあるセラピストは失いやすい。やはり患者さんの方が人生の先輩であることも多いですし、仕方のないことですね。



こんなとき、セラピストの本質に立ち返りましょう。最近では、「そもそも論」とか表現しますね。そのために、私はよく哲学を利用・使用させていただいています。



例えば、ドイツの哲学者、ヘーゲル。有名なのは弁証法。


①即自    現在の状態を把握 = 患者評価

②対自    状態に合った適切な行動、処置を施行 = 治療プログラム

③即自 且つ 対自  行った処置に対して、出た結果を確認 = 再評価



これ、実は、きど塾でも頻繁に強調しているつもりのBefore & Afterの行為。己を進化させていくには必要な基本哲学。



常に①~③を意識する事で、患者の信頼も得られやすくなり、技術も上がっていくわけです。患者さんの言いなりになって、マッサージばかりしたり、時間が来たから終わるというリハの流れではいけない(=技術上がらない)わけです。



参考になれば。


(*哲学の解釈に間違いがありましてもお許しを。決して悪意はありません。)


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